第五部 受け取ったものを、次の場所へ
CHAPTER 18
私は、ニンゲン。
キリマンジャロ・2026年6月
「私は、ニンゲン。」という言葉に、どんな思いを込めていますか。
幼い頃から、どうしてもニンゲンに帰属意識を持てずにきました。嫌いなわけではないんです。でも、その都合のよさや矛盾、無責任が見えて、嫌悪感を覚えることはよくある。それはつまり、自分自身の一部を受け入れきれていない、ということだと思います。
それでも、私はニンゲンです。搾取の構造の中で、力を持つ側に立つことも多いし、その恩恵を受けているのも明らかです。
もっと、もっと、ニンゲンのことを好きになりたいんです。
ニンゲンと動物たち。さまざまな背景や、コンディションや、
年齢や、身体や、文化を持つ人たち。
違う存在と存在が、そのままでつながり、交わり、離れることができる。
その「あわい」で、架け橋やクッションになりたいんです。
少し時間を戻します。2026年6月、キリマンジャロにも登りました。
エベレストにも行っているので、登山が好きだと思われがちなんですが、登山は数えるほどしかしたことがありません。目的は、登ることではないんです。
普段の生活では絶対に手が届かない、空の上の存在。憧れの存在。その人たちと肩を並べて、「共に」チャレンジできる。そんな稀有な機会だからです。正直に言えば、「川上と接続したい」という下心もありました。
仲間と一緒に、異文化と自然の世界に飛び込んで、同じ地点を目指して、ともに歩く。その先で、一緒に登る仲間や現地の方々との出会いと、つながりが深まっていく。それを通して、自分の視座を上げて、もっと循環を生めるニンゲンになりたかったんです。
キリマンジャロには、風呂敷を持っていったそうですね。
エベレストの翌年、親生さんは、宣言どおりエベレスト登頂を果たしました。その3週間後に、東京でお会いしたんです。
そこで、エベレストに一緒に登った風呂敷に、エベレストの女神からのパワーを込めて、書き込んでもらいました。
その風呂敷が、私と一緒に、キリマンジャロの頂に立ちました。

エベレストのときと、何がいちばん違いましたか。
まったく違いました。まず、メンバーの価値観が全然違う。
エベレストは「あるがまま」「思うがまま」の世界でした。それぞれがそれぞれの道を進む中で、たまたまあそこで歩みを共にする瞬間があった、という感じです。目的も、感じ方も、登り方も人それぞれ。それぞれの責任において自由にやっていたし、それをジャッジする空気がまったくなかった。みんな面白がっていたし、リスペクトし合っていました。
だからエベレストでは、着物で登れたし、夜中に一人で勝手にカラパタールへ登ることもできた。それぞれの命の責任が、明確に、それぞれのものだったんです。
親生さんが一度、一人で猛スピードで進んで迷子になって、危うく日が暮れるところだったことがありました。その人を探すために、ガイドさんやシェルパさんが相当走ってくれた。でも、それは笑い話でしたし、お互いにリスペクトしていました。迷惑だと諭す人もいなければ、申し訳ないと謝る人もいない。
ただ、ただ、「心からありがとう!」「生きててよかった!」そういう空気でした。
キリマンジャロは。
「登る目的」が明確にありました。チームとして全員が登頂するというゴールが設定されていて、「リーダーシップ」というテーマがあった。チームの輪を乱すことは悪だし、リーダーがチームを統制していた。正解があり、良し悪しがあり、ジャッジがあった。
「自分に集中して、思いっきり自分の思った通りにすればいいよ」という言葉とは裏腹に、常にジャッジがつきまといました。それも、善意ゆえのジャッジです。皆いい人でした。でも、皆が「べき」を持っていたように感じます。
明らかに足袋のほうが安全で登りやすい岩場で、自分の判断で運んでいた足袋を取り出したら、「無駄なものをリュックに入れるな」と指示が飛んできたり。集合時間に遅れることはご法度でした。
だから、持っていった着物を着ることも断念しました。こんなものをポーターさんに背負わせていたと知られたら、また注意されるかな。着るのに時間がかかったら、他の人のペースを乱すからよくないだろうな、と。
エベレストのときのように自分のペースを守っていたら――必ず休憩で追いつくんです――それも厳しめに注意されました。
ニンゲンのコントロールの社会だったので、そこはあまり楽しめなかったかな。
動物の構造とも似ているんです。ニンゲンは、愛ゆえにコントロールしようとするから。
それでも、悪いことばかりではなかった。
決して。現地の人との会話は、とても楽しかった。何より、キリマンジャロの下りの経験と、ブレアとの対話は、最高の宝物です。
行った価値があったと、私は思っています。
山で、受け取れなかったもの
その山で、いちばん心が動いたことは何でしたか。
お花にとまっていたハエさんに手を差し伸べたら、逃げずに、私の手に乗ってきてくれたんです。
キリマンジャロの神様に受け入れられたようで、本当に感動したし、嬉しかった。
正確に言うと、あとから動画を見返したら、二度ほど、指を近づけたときに飛び去っていました。三度目の正直です。風が強くて、花も私も揺れていましたから。それでも彼は、最初からだいぶ近くに、指を置かせてはくれていたんです。
それをシェアしたときの、空気の冷たさ。

本当に悲しかったです。私は、いちばん心が動いたことをシェアしたのに。
山で、自分の行動にも問い直した場面がありました。
土に還るから、とみんな捨てていたんです。でも私は、どうしても捨てられなかった。いつもは使用済みのトイレットペーパーを入れる袋を持ち歩いているんですが、その日はたまたま持っていませんでした。
用を足したあと、「今日くらいは……」と、一度は土の上にぽいっと捨てたんです。でも、そこから悶々が襲ってきて。
私は、キリマンジャロの神様に、胸を張って会えるだろうか?
その問いが出た時点で、回収することにしました。神様に恥じない自分でいたかったんです。
この話もシェアしたんですが……これも、空気がしんと冷たくて。ぜんぜん、共鳴が起きませんでした。
押し上げられた頂上
登頂の日のことを、聞かせてください。
その日は、朝からまったく食欲がわきませんでした。アタックの日なので、なんとか食べたかったんですが、まったく喉を通らない。スープだけは、なんとか喉の奥に流し込んで、スタートしました。
そのまま、登頂も、その日の下山も。朝4時から夜の18時半ごろまで、ほとんど食べられませんでした。口にできたのは、飴とようかんと、黒糖くるみだけです。
登りながら、2度ほど、意識が遠のきました。つらさは、まったくありませんでした。ただ、歩きながら瞑想状態に近くなって、ふっと意識を持っていかれそうになるんです。
でも、高山病の薬を飲んでいないことも――症状がなかったのと、エベレストの経験から飲むタイミングを自分で把握していたからです。勝手に「飲まない」と判断していることを咎められそうな気がして、黙っていました――ほとんど食べられていないのに報告していないことも、意識が遠のいていることも。
知られてはいけないと思って、黙々と登りました。
意識がもうろうとするなか、山頂が目前に迫りました。その瞬間に、一度、意識が異次元にタッチしたような感覚がありました。
ここに来るために私を押し上げてくれた、たくさんの、たくさんの人たちの存在が、キリマンジャロという山と重なって、意識の中に、くっきりと輪郭を持ったイメージとして掴めたんです。
押し上げてくれた人たち。家族や夫、会社の人、その他大勢の人。そして何より、一緒に登っていたメンバーたち。感謝の気持ちがふつふつ、むくむくと大きく膨らんで、胸がいっぱいになって。
そこで初めて、「リーダー」というものの感触に触れました。
リーダーとは、偉そうにする人でも、コントロールする人でも、引っ張っていく人でもなく、皆が「押し上げた」人なのだと。
押し上げられたリーダーは、その山のてっぺんで、山となって自分を押し上げてくれた人たちに、還元しよう、貢献したい、と自然に感じるんだ、って。
とても不思議な経験でした。とても幸せな体験でしたし、知らなかった世界の側面にひとつ触れることができた出来事でした。
ちなみにこの日、下山してから、何かをリセットするかのように、お腹の中がすっからかんになりました。その翌日が、キリマンジャロ登山の最終日です。
背負われて、山を下る
下りで、何があったんですか。
登りは、本当に余裕だったんです。エベレストで培った、ほとんど体力を使わない体の使い方で登ると、まったく疲れない。筋肉ではなく、骨と重心で登るので、かなり省エネなんです。
でも私は、下りが大の苦手でした。両膝に爆弾を抱えていますし――怪我をしたわけではなく、下山時に痛くなる傾向があるんです――下りはどうしても、体重を支えるのに筋肉を使ってしまう。筋肉が疲労すれば、関節に負担がかかります。
最終日、朝からすでに右膝が痛みました。軟膏を塗り、テーピングを貼り、着圧タイツを履いて、上からサポーターをつけて、痛み止めも飲んで、万全の体制で出発しました。右膝は曲げられませんでしたが、左脚は元気でした。問題なく下山できるだろう、と思っていたんです。
ところが、キャンプを出発して10分もしないうちに、後ろから呼び止められました。「歩き方がおかしい。どうしたんだ?」
私は説明しました。右膝は痛いけれど、十分歩けると思う、と。でも現地ガイドのリーダーは、私よりずっと重く受け止めていました。「その状態で全行程を歩くのは良くない。歩き切れたとしても、脚がダメになる」
納得しきれないまま、4人のポーターさんに代わる代わる担がれて、猛スピードで下ることになりました。
私は何度も言いました。「もう、ここまででいいよ」「歩けるよ」「降ろしてほしい」。それでも、「You need to be safe!!」と、譲ってもらえません。
途中でリーダーに見つかって、「あやか、歩けないのかい? 人間を負ぶるのはポーターの仕事じゃないんだよ」と強めに言われました。私も「わかってる! 私は歩ける! 歩けるんだーー!」と訴えました。それでも、また背負われる。
背中の上で、何を考えていましたか。
脳内は大忙しでした。
「キリマンジャロタクシーだよ!」「VIPだよ!」と、にこにこしてくれる彼らに対して、その気持ちを受け取って喜ばないと、かえって失礼だよな、と思って、楽しもうともしました。
担いでくれている彼の膝は大丈夫かな。ぬかるみがひどくて滑りやすい、岩に頭を打ったら死ぬな、怖い。──実際に一度、背負われたまま転びました。最初に背負ってくれていた彼を心配したんですが、彼らも「やべ、VIP落としちゃった!」と冷や汗をかいていました。
汗臭くなるな。筋肉質な体にぺったりできて、ちょっとほっとするな。背負い方によって楽さが全然違うな。というか、背負われるのってめちゃくちゃ疲れる。歩きたい。
赤ちゃんも、抱っこされ疲れとかあるんだろうな。ごめん。(過去の子どもたちへ)
この景色を少しでも脳裏に焼き付けておきたい。下りの熱帯雨林ではカメレオンを探したかったのに、ゆっくり歩けなくて残念すぎる。美しい景色を写真に撮りたかったのに。
皆さんが5、6時間かけて降りるところを、ほぼ背負われて、最後はレスキュー車で、3時間かけずにゴールしてしまいました。
小雨の降る中、肌寒い中、一人で2時間以上、仲間を待つむなしさ。
達成感、ゼロでした。
あとから到着したメンバーは、感動のゴールを切って、達成感に満ちた表情で、看板の前で記念撮影をしていました。その姿を遠くから見ながら、私は、今日の出来事をどう受け取ったらいいんだろう、と途方に暮れていました。嬉しいような、悲しいような、何かが終わっていないような。
そこで、ブレアさんと話した。
その場にいたのが、伝説のスピーカーと呼ばれているブレアさんでした。想像以上に自然体で、まったく距離を感じさせない人です。
私はブレアに、下山で何があったのかを話しました。本当に感謝している。でも、いろいろなことが頭の中を巡っていて、自分でも整理がつかない、と。
するとブレアは、ひと言だけ差し出しました。
“Don't think. Feel.”
考えるな。感じろ。
そうか、感じるのか。わかったような、わからないような。正直、何を感じればいいのか、よくわかりませんでした。私は、心のもやもやと一緒に、しばらく時間を過ごしました。
それから数時間後、もう一度。
ポーターさんたちとのお祝いのパーティーが終わる頃、私はもう一度、ブレアのところへ行きました。そして、出てくるままに話しました。
本当に、感謝の気持ちはいっぱいなんだ。でも、達成感に満ちたみんなの顔を見ると、何か不安になる。自分の足で達成したかった、ということなのかな、と。
するとブレアは、とても落ち着いた、優しい表情で言いました。
“I told you. You think too much.
You are killing what you've received.”
言っただろう。あなたは考えすぎる。あなたは、自分が受け取ったものを、自分で殺している。
どういうことだろう。そう思っていると、ブレアが言いました。「OK. Repeat after me.」
“I like myself.”
“I deserve this.”
“I love myself.”
答えは、これだけでした。
最初の “I like myself.” から、ものすごい抵抗が出てきました。喉の奥から声を絞り出すように繰り返すと、涙があふれてきて。そのあとは、もう、涙、涙、涙でした。
いつだって不安でした。いつだって、自分を責めていました。私の「自責」は、ずっと自分責めでした。
その一方で、私は拗ねてもいたんです。受け取ってもらえないこと。理解してもらえないこと。それを理由に、相手から何かをもらおうとしていました。
あの日、何を受け取ったんでしょう。
理屈で何かに気づいた、という感覚は、実はあまりないんです。言葉として理解したというより、もっと身体の奥で、何かが動いたような感覚でした。
それでも、あまりにも大きな宝物を受け取った、と感じています。
受け取ってもいいんだ。
差し出されたものを受け取ることも、相手への敬意になる。
それを、頭ではなく、身体で知ったのかもしれません。
そして、受け取ることへの抵抗がほどけたからこそ、差し出すことへの恐れも、少しほどけたのだと思います。
帰国して大きく変わったことのひとつが、「セールスに対する強いブレーキが緩んだ」ことでした。あんなに苦手で、恐れも不安もあったのに、今はセールスもセミナーも、したくてうずうずしています。
受け取られなかったとしても、それは私自身の価値が否定されたわけではない。そのことを、身体のどこかで知ったからなのかもしれません。