CHAPTER 16

もう一度、イルカのそばへ

壱岐

一度は離れたイルカの仕事に、壱岐で再び向き合うことになります。

ある日たまたま、まったく違う方面の知人二人から、同じイルカ施設の口コミを聞いたんです。はっきりとは言わないけれど、とにかく「他と違う」「本質に触れる」と。

それで、こっそり覗きに行きました。獣医師であることも、イルカのトレーナーだった経歴も隠して、ただの一参加者として、1泊のプログラムに参加したんです。

なぜ、隠したんですか。

獣医である、イルカの関係者である、とわかっていれば、相手はそれに応じた対応を選んできます。無意識にも、意識的にも、意図的にも。

私がいちばん見たかったのは、ここが一般のお客さんに対してどういう対応をしているか、でした。だから「関係者」ではなく、「何も知らない一般の人」として、中の様子をうかがいたかったんです。

正直に言うと、特別なことは何もなかった。業界人の目で見ると、気になる点もたくさんありました。「こんなもんか……」と思ったのは、内緒です。

それでも、転職を決めた。

プログラムの途中で、代表と話す機会があって、イルカの飼育や医療に関する矛盾や葛藤、イルカと人間の関係について、たくさん話しました。

水族館時代に押し込めていた思い――イルカの飼育を崇高なものとして、きれいごとだけを並べるやり方では、私は誠実にいられない――が、胸の奥底から滾々と湧き出してきて、止まらなくなった。それが、今の職場に移ったきっかけです。

また同じ苦しさが始まるかもしれない。その怖さは、ありませんでしたか。

ありました。わかっていました。バカだなぁ、と思いました。

祈るような気持ちで出勤して、いつも通りの姿を見て「生きていてくれてありがとう」と思う日々。朝いちばんのセッションのあと、体調に問題がないと確認できて、ほっと胸をなでおろして、「元気でいてくれてありがとう」。

毎日祈るような、息の詰まるような生活。それがまたやってくることを、知っていました。だから、バカだなぁって。

ちなみに今の施設では、以前よりもずっと、生き死にを心配するストレスは減っています。

イルカたちの命が、水族館のときよりもずっと、
イルカたち自身の主導権に寄っているからだと思います。

その現場では、イルカたちとの関係をどう探ってきましたか。

技を教え込むことでも、動物を思い通りに動かすことでもありません。イルカの反応を聴いて、NOを尊重して、相手の意思や状態を感じ取りながら、関係性の中で一緒に動くこと。

トレーニングは、支配やコントロールではなく、命と命が対話するための方法だと思っています。子どもの頃から抱えてきた問いへの、ひとつの実践の形でもあるんです。