CHAPTER 12

五人の息子

出産・NICU・コロナ

仕事の話から、ご自身が育った家と、五人の息子さんの話へ移ります。

生まれも育ちも仙台です。父は男の子が欲しかったそうで、エコー検査で女の子だとわかっても、生まれてくるその時まで、期待を捨てきれずにいたらしいんです。それを知ってか知らずか、私が生まれたのは予定日より2週間以上早い、父の誕生日でした。

……そして私は、男の子を5人産むことになります。

5人の息子さんの出産は、それぞれ違う形だったそうですね。

長男は熊本の小さな産科クリニック、次男はアメリカで自宅出産でした。生活の延長線上に、自然に命が生まれる。自宅出産があまりにもよかったので、三男も自宅で産みたかったんですが、日本で対応してくれる助産師さんが見つからず、院内助産院で産みました。

四男と五男は、双子です。早産の未熟児で、NICUに入りました。ちょうど、コロナ騒動の真っただ中でした。

NICUでは、ほとんど面会ができなかった。

1390gと1690g。重症新生児仮死で生まれて、すぐにNICUに連れていかれました。手術室の外で待っていた夫は、退院までの2か月間、ガラス越しにすら、一度も会わせてもらえませんでした。母親の私も、3日に1回、15分だけ。私にできたのは、母乳を絞って冷凍庫に貯めて、面会のときに持っていくことくらいでした。

母のぬくもりが必要な時期に、人のぬくもりも、人の声も感じずに、箱の中に入れられて、機械につながれている。強い違和感と、救い出したい衝動と、人質に取られたような不安が、慢性的に私を消耗させました。

病院に、何か言えましたか。

何度も訴えました。担当医には、本来ならお腹の中で外の音を聴いて、重力の中で動きの多い、刺激の多い環境にいるはずなのに、ずっと保育器の中で入ってくる刺激が少ないのは、発達に影響があるんじゃないですか、と尋ねたり。せめて父親だけでも、ガラス越しに会わせてもらえないか、と頼んだり。総合病院の相談センターにも、何度も足を運びました。

でも、「コロナ対策」「人命最優先」という大義名分のもとで、まったく受け入れられませんでした。

大人の都合のしわ寄せで、いちばん割を食うのは、
いちばん声を持たない、立場の弱いものからなんです。

「命を最優先に」という大義名分のもとで、命が後回しにされる現実があった。大切な人の面会に行けなかった人、臨終に立ち会えなかった人、切り捨てられた子どもたち。心を痛めている人は、本当は多いはずです。でも、口に出す人はいませんでした。

日本人は真面目で、空気を読むと言われます。でもそれは、本当に周りの空気を読んでいるというより、「べき」や「お上の意志」を読んで、「良い子」でいようとしているように感じるんです。

100人中90人が思っていても、口にするのが1人なら、その1人が「異端」になってしまう。言葉にする人がいなければ、その気持ちは、この世に存在しなかったことになってしまう。

戦う、ということではないんです。当たり前に違う意見が、当たり前に存在していい。その安心感が、ないんです。

だから、みんな口をつぐむ。そして、そのしわ寄せはいつも、動物や子どもたちのような、より立場の弱いもの、人間社会で権利を持たないものに集中する。そう感じました。

双子が退院して、初めて家族全員が揃った日のことを、覚えていますか。

やっと、ほっとした。

人質が返ってきたような。何をするにも許可が必要な生活から、やっと、自分で決められる生活に。

命の主導権が、やっと自分たちに戻ってきたような。