CHAPTER 08

メノック

大学・馬術部

大学では、どんな生活でしたか。

念願の馬術部に入りました。朝5時から、朝昼夕晩の4回、年間360日以上、馬と関わる生活でした。全日本学生馬術大会や国体にも、選手として出ました。

中でも、メノックという白いおじいちゃん馬が、私のパートナーでした。彼との出会いと道のりは、今も宝物です。

そのメノックが、大けがをした。

ある春、私が大会で大学を空けていた数日のあいだに、深刻なケガをしていたんです。そこから、忍耐の1年が始まりました。

最初の2か月は、朝昼夕と流水で患部を冷やして、軟膏を塗る。部活に支障が出ないよう、朝5時の活動開始前に終わらせるために、一時期は毎日4時半前から作業していました。医学的なデータをあさって、獣医師と相談して、当時最先端だった幹細胞注入もしながら、何か月もかけて腱が治るのを待ち、少しずつ歩く距離を伸ばしました。

約1年ぶりに彼の背にまたがったときの感動が、忘れられません。馬から、鞍を伝わる体温。そのぬくもりと振動に、私が、心底ほっとして、深い深いため息が出ました。やっと、また一緒にできるね、と、心が震えました。

彼は高齢だったので、私が大学を卒業して、自立したら、引き取って一緒に老後を過ごすつもりでいたんです。

でも、ハッピーエンドにはならなかった。

私が部活を引退して半年ほどたった頃、人為的なミスで、お腹を大きく裂く大けがをしました。なんとか持ち直したものの、医療費や人員の問題で、安楽死が選ばれました。

彼は、大学の“所有物”でした。最後まで諦めずに治療したい。本人が諦めていないなら、諦めたくない。その訴えが受け入れられることは、ありませんでした。守り切ることが、できなかった。

最期の瞬間は。

彼の頭を、抱いていました。不安を与えまいと、「大丈夫だよ」と声をかけながら。

最後まで人間を信頼して、身を委ねてくる彼を、裏切っているようで、胸が張り裂けそうでした。

その「大丈夫だよ」は、あなたの内側と一致していましたか。

最後まで人を信頼し、人を頼っていたメノックに対して、「嘘」を言うようで、後ろめたかった。本当は、本人が諦めるまでは、彼の思いに寄り添いたかった。

でも、自分の悲しみや不安を、彼に感じさせるわけにはいかなかった。自分の内側と表現がずれたとしても、あのときは、彼に「安心」と「安らぎ」を届けたかったんです。

彼が、安心できますように。その思いのほうが、ずっと勝っていたんです。

そのあとは、食べることも、飲むこともできず、トイレにすら行かなくてよくなって、ベッドの中でもがいていました。絵具を全色まぜたような、ドロドロのどす黒い渦の中で、溺れているようだった。死にたいという気持ちはまったくないのに、息をしていることが苦しい。存在していることが苦しい。どうすればいいのか、皆目見当がつかない。

見かねて母が来てくれたとき、このままではいけないと立ち上がって、向かったのが、メノックの住んでいた馬房でした。

空っぽの馬房で、何があったんですか。

ふと外に目を向けた、その瞬間、急に彼を通して世界が見えた気がしたんです。彼の目を通して。彼は毎日ここで、この景色を見ていた。何を想っていただろう、と。

その瞬間、世界がキラキラと輝きだしました。比喩ではなく、本当に「キラキラ」と見えたんです。世界が優しくなった。この世はなんて美しいんだろう。どす黒くドロドロしていた心に、澄んだ空気が流れ込んでくるようでした。

そして、気づいたんです。私が流していた涙は、メノックのためだと思っていたけれど、違った。あれは、悲劇のヒロインになった、かわいそうな自分のための涙だった。どれだけ泣いても、彼のこの世界での体は、もう戻ってこない。もし彼の魂が空から見ていたとして、めそめそしている私を見て、彼は嬉しいだろうか。

そこから、海外へ出る決心をしました。日本では、経済に還元されない馬の治療にベストを尽くす機会が、そもそも見つからないんです。

「あのとき、メノックの命をつなぐ道はなかったか」

それが私の問いでした。その答えを探しに、卒業後は渡米して、研修医として働くことにしたんです。

命を救うために学ぶ、その裏側で

メノックを見送った大学時代には、命を奪う側に立つ経験もありました。

実習のために、馬たちがやってきました。競走馬として活躍できなかった“だけ”の、若くて健康で、性格のいい馬たちです。しょうちゃんとかんちゃんは、馬術部で2か月ほど一緒に暮らしました。私たちが乗って、運動させることもありました。

解剖棟へ向かう日、何も知らずに素直についてくるかんちゃんを、死の注射を持った担当者に引き渡したときの、もう後戻りはできないという恐怖と罪悪感は、今も忘れません。私も当事者なのに、その場にいられなくて、茂みに隠れて泣いていました。……あとで知ったんですが、丸見えだったそうです。

解剖の授業では、彼に愛着を持たない学生たちが、ときに談笑しながら参加している姿が耐えがたくて、何度も涙をこらえました。彼の命を、絶対に無駄にしない。だから、彼の体から学ばなければいけなかった。死んでしまっている彼には、私がどれだけ学ぼうが、何の意味もないことだったかもしれませんが……。

研究室では、ラットやモルモットの命を使う実験もしました。

獣医の仕事は、比喩でなく、「殺す」に近いんです。

犬や猫の安楽死。と畜場。経済動物の処分。感染症予防法にのっとって、罹患していない動物まで含めて行われる殺処分。実験動物施設での業務。

「殺す」の現場には、かなり多くの場合、獣医師がいます。

人間以外の命は、人間の都合で生まされたり、殺されたりする。重くなったり、軽くなったりする。それなのに、口では「命は大切」「命は平等」と言う。その矛盾に何度も苛立って、耳をふさぎたくなりました。

気がつくと、私は「動物好き」ではなくなっていました。動物たちのことは好きだし、慈しむ気持ちもある。でも、子どもの頃に無邪気に思っていた「動物が好き!」という感覚は、どこかへ行ってしまったんです。

獣医という職業が、ニンゲンの世界の中でいちばん「殺す」に近い職業だと悟って。ニンゲンの世界が、どれだけ弱い存在からの搾取で成り立っているかを見せつけられて。それでも、その恩恵を拒むのではなく、享受している自分を自覚して。

それで、しばらく、私の心が麻痺した時期があるんです。

「殺していた」を突きつけられ、実感した2007年ごろから、2024年ごろまで。「動物が好き」とか「かわいい!」という感情が、消えていました。

正確に言うと、「かわいいなぁ」と思うことはあったんです。でもそれは、子どもの頃の無邪気なものとは、違っていました。その心が戻ってくるのは、ずっとあと、一匹の子猫に出会ってからです。