第二部 命を扱う側へ

CHAPTER 05

ウマゾウ

小学三年生から中学生

馬との出会いは。

小学3年生のとき、学校でもらったチラシの「ポニーキャンプ」に、何気なく参加したんです。担当したのは、ウォルキーとルイスというポニー。特別なことは何もありませんでした。3泊4日、毎日お部屋の掃除をして、乗ったり引いたりした。朝は「おはよう」、活動の前は「よろしくね」、終わったら「ありがとう」。それだけです。

でも、家に送るハガキに彼らの絵を描いていたら、お別れの時を想像して、涙がこみ上げてきた。最終日にお礼を言いに行ったときは、胸の奥がぐうっと詰まって、出会えた喜びと別れの寂しさで、胸がいっぱいになりました。それで、すっかり馬の虜になったんです。

乗馬を始めたのは、中学生のときですね。

中学1年のとき、家から少し離れた山の上の乗馬クラブがリニューアルオープンして、入会キャンペーンをしていたんです。うちは貧しくはなかったけれど、贅沢をする余裕があるわけでもなかった。乗馬なんてお金持ちの娯楽で、自分事ではありませんでした。

「1度だけ」のつもりの体験乗馬だったんですが、スタッフの関西の方々のトーク力で、私より母のほうがその気になってしまって。「乗馬クラブ、入りたい?」と母に聞かれて、こんなチャンスはめったにないと、ひとまず「YES!」と答えました。

入会してからはどんどんのめりこんで、半年ほどで「調教補佐」という、半分スタッフとして馬の飼育や調教に関わる役割をもらいました。そのとき担当した「マイロ」は、初めて人馬一体を感じた馬です。共に働くパートナーとしての関わり方を、体で知りました。

そこで出会ったのが、ウマゾウ。

彼には、正式な名前がありませんでした。競走馬として生まれて、結果を出せずに、乗用馬として再スタートを切るためにクラブにやってきた馬です。私は「ウマゾウ」と呼んでいました。本担当はインストラクターでしたが、副担当として、私が乗ってトレーニングすることが多かった。

ある日、何の前触れもなく、スタッフに言われました。

「あ、乗らんでええで。あの馬は出ていくから」

頭が真っ白になりました。スタッフの方がうろたえて「そんな、泣かんでも……」とつぶやいたのを聞いて、はじめて、自分の目から涙がこぼれていることに気づいたくらいです。

ここで見切りをつけられたということは、彼の未来は、明るくないかもしれない。そう想像しました。私の技術が足りなかったから、彼は乗用馬になれなかった。申し訳なさと自責の念と、深い絶望感が、体の芯から、深く、深く、体中に響いていました。

そのあと、ウマゾウには会えましたか。

涙が出たあと、すぐに彼のもとへ駆けつけました。泣きながら、謝りました。ごめんね、と。自分の力量が足りなかったこと。そして、彼の運命に手を出す力が、私にはないこと。

彼がそのあとどうなったのか、私は知りません。馬の世界では、手放された馬のその後は「追わない」のが、マナーになっているんです。未来が明るくないかもしれない、というのは、あのときの私の想像で、決まっていたことではありません。

中学生だったあのときの自分に、今のAYAさんから言いたいことはありますか。

言いたいことは、ありません。ただ、寄り添うことしかできない。今の私も、あのときの私と、大して変わっていないんです。

私の人生は、一貫して、そういうストーリーになっている気がします。

「守りたいものを、守れない」という苦悩の中で、
ひとつずつ、
守りたいものを守るための力を、手にしていく。