第一部 声のない命を聴く

CHAPTER 01

手綱の先

仙台・未就学

最初に見てほしい場面は、どこですか。

ポックが連れ去られていく場面です。

うちで飼っていた犬でした。いわゆる“無駄吠え”があって、近所から苦情が続いて、里子に出すことになったんです。ぐるぐる巻きにされた犬小屋の中で、軽トラックの荷台に乗せられて、けたたましく吠えながら、連れていかれた。3歳の頃です。新しい家で、とても幸せに暮らしたと、あとで聞きました。

いったい何が起きているのか。これからどうなるのか。かけていた梯子を、突然外されたような。安全の基盤が揺らぐ瞬間でした。

握っていると思っていた自分の命の手綱の先が、
切れていた。それを初めて知った瞬間だったのかもしれません。

そのあとのことは、そのシーンしか覚えていないんです。でも、何も言えなかったような気がします。怖かった。わからなかった。

その頃、言葉を信じる気持ちが揺らいだ出来事もあったそうですね。

人生で初めて、「うそ」に出会った瞬間です。

保育園に行きたくなかった私は、車の中で逃げ回って、母を困らせていました。母は私を捕まえられずに、途方に暮れていた。まだ母が働いていた頃で、母も必死だったと思います。

そのとき母が、おやつをあげる、と交渉してきたんです。私にとって、言葉と現実は確約されていました。同じものだった。だから疑うことなく、その交渉に乗りました。おやつがもらえるなら、と。

でも母は、おやつをくれることなく、そのまま私を保育士さんに引き渡しました。

混乱しました。おやつは? いつもらえるの? それが「うそ」で、おやつなんて初めからなかったのだと知るまでに、しばらく時間がかかりました。

母には、何も言えなかったような気がします。母が「うそ」を言った、という事実に傷ついて、直視できなかった。

確かな記憶ではないんです。でも、「見てはいけないものを見てしまった」「言葉にしてはいけない気がして、口をつぐむ」。そういう感覚が、なんとなく胸に残っています。

いまは、ご自身がお母さんですね。

仕事に行かなければならない朝、子どもが私にしがみつくんです。胸が切り裂かれるようなその時間を、なんとか生きています。だから、母が必死だったんだろうな、というのは、すごくよくわかる。

それと同時に、私は子どもに、その場しのぎの嘘は絶対に言わない。それだけは徹底しています。

私にとっては、死活問題なんです。

人格形成の土台になっているような気がするほどの、人生の初期の二大衝撃です。

だから私は、「内側と表現がずれる」ことが、心底違和感なんだと思います。そのずれに敏感に、不快感で反応してしまう。こだわりと言っていいほど、「言葉と真実の一致」に執着しているような気がします。

一方で、猫のラッキーをかばった記憶もあるそうですね。

姉が、うちの猫のラッキーにちょっかいを出していたんです。ラッキーは控えめに「嫌だよ」「やめて」と言っていた。でも姉はやめなかった。とうとうラッキーは、仕方なく姉の手に噛みついて、爪を立てました。それも、姉を傷つけない力加減の、意思表示としての優しいものでした。

それを見た母が、ラッキーを叱ったんです。あまりの理不尽さに、私は泣いてラッキーをかばいました。

ラッキーはやめてって言ってたのに、やめなかったのは、お姉ちゃんのほうだよ。

ポックのときも、おやつのときも言えなかったのに、あのときは声が出た。あれは私にとって、きょうだいげんかの延長だったように思います。ラッキーをきょうだいの一員として見ると、姉と弟のけんかを目撃した私が、弟をかばっている。そんなイメージです。

声を出せない小さな生き物にも、目が向いていた。

弱っているミミズや虫やカエルを見つけては、道の脇の草陰に移して、祈っていました。

助からないことは、わかっているんです。でもせめて、最後は静かに、穏やかに過ごして、命を閉じることができますように。昔から、そういう思いでした。

「死の瞬間」の、本人の心を、ものすごく大事に思うんです。なぜかは、わかりません。

看取りに強い思いがあるのも、そのあたりだと思います。ドラマやニュースで、「無念」の死を遂げる人に触れると、どうしようもなく胸が苦しくて、いてもたってもいられないほどやるせなかった。何とか自分を説得して、心をなだめないといけなかったんです。

前世があるなら、何かあったのかもしれませんね。

母が専業主婦になってから通った幼稚園は、少し変わっていて、園長先生はアメリカ人、先生の半分がアメリカ人でした。私には「あやか」のほかに「Anna」という英語名があったんです。

園には犬、猫、ポニー、ヤギ、羊、ウサギ、モルモット、七面鳥、アヒル、リスザル、カラス、シカ……。動物たちが、当たり前に生活の中にいました。小学生になると、友だち数人と「虫日記」という交換日記を始めて、その日出会った虫、助けた虫のことを報告しあっていました。